2025年
1月のつぶやき




1月24日 ホテルの冷蔵庫

 昨日、出張のため京都のホテルに宿泊した。夜の9時過ぎ、事前にコンビニで晩酌用のビールと、朝食を買ってからチェックインした。部屋に入ったら、冷蔵庫の電源を入れ、ビールがよく冷えるよう、ダイヤルを回して最強にしてから風呂に入った。風呂上り、冷たいビールを飲み、妻からのちょっとしたラインのやりとりをして、のんびりテレビを観て、寝た。

 次の日、嫌な予感がして起きた。予感は的中しており、コンビニで買ったおにぎり、パン、コーヒー、ヨーグルト、全てが凍っていた。パンとヨーグルトはそのまま食べたものの、おにぎりとコーヒーは、洗面所で湯煎した。コーヒーは溶けたが、おにぎりはカチカチのままで、なんとも味気ないものであった。

 冷蔵庫と冷凍庫というのは、本質的な違いは無いらしい。冷蔵庫内のアナログダイヤルの回し具合で、冷蔵庫から冷凍庫へ、連続的に変化する。ホテルの冷蔵庫は、要注意である。


1月21日 無題

 トランプが大統領になったら、イスラエルとハマスが戦争を止めた。最近起こった表面的な事実のみを述べれば、そのようになる。私は、トランプ大統領の考え方は好きではないが、ハマスとイスラエルや、ロシアとウクライナの混迷を打開する方法が見当たらなかったのは確かであった。そんな中で、トランプ大統領就任による変化が、世界をいい方向に向かわせるきっかけになるのかもしれない。

 世界は不思議だと、改めて思う。たった一匹のホモ・サピエンスが、世界を変える可能性があるらしい。就任初日から、トランプ氏はやりたい放題であった。一方で、今のアメリカの熱狂と分断は、危険だと思う。

 保守とリベラルについて、1月10日の朝日新聞で、小説家の中村文則氏が寄稿をしている。曰く、なぜリベラルが負けるのかというと、生物は本質的に保守に近いからだという。自分と似た集団に共感が向くのが自然であり、「リベラルは本能より面倒な理性に働きかけねばならず、難しい」「逆に、人々を争いや差別、強者崇拝/少数派批判に向かわせるのは、実はとても容易い」と書いている。

 世界がどのような姿になっても、私は家族を守り、子供たちが未来を生き抜く力を身につけさせる。そのことには変わりない。


1月20日 秘境ブータン 天空を駆ける

 昨日のNHKスペシャル「秘境ブータン 天空を駆ける」に心を動かされた。ブータンの高地を舞台とした5日間で186kmを走り抜ける、世界一過酷な山岳レースを追ったドキュメンタリーである。

 ブータンは、ヒマラヤ山脈の東端に位置する小国ながら、森林等による二酸化炭素吸収量が、温室効果ガス排出量をはるかに上回る、「カーボンネガティブ」の国として知られる。私たちは、2006年6月に新婚旅行でブータンに行った。「GNP(国民総生産)よりもGNH(国民総幸福)」をスローガンに、伝統文化を守りつつ、必要なところには最新の科学を取り入れ、人々の幸せと人類の未来を希求するという、世界でも類をみない国である。

 この世界一過酷な山岳マラソンを企画したのは、ブータン国王であった。地球温暖化により氷河が溶け、氷河湖が決壊することによる洪水被害を、ブータンが被っている。カーボンネガティブの国が、地球温暖化の影響を受けていることを、ランナーたちが発信することで世界に訴えたい。ランナーたちは、ただレースに勝つことだけでなく、ヒマラヤの美しい大自然と、そこに忍び寄る温暖化の影響を肌で感じながら、世界に発信していく。

 番組で、圧倒的な自然の美しさと、人々の素朴ながらも幸せそうな暮らしぶりに見入った。やっぱりこの国はすごい。西側とか東側とか、保守とかリベラルとか、民主主義か独裁主義か、そんな価値観を超越しつつも、世界の最先端を行っている国だと思った。


1月19日 焼き鳥

 昨日は、私の誕生日パーティということで、家族で焼き鳥屋に行った。焼き鳥というと、サラリーマンがふらっと入る居酒屋のイメージがあるが、久留米では本格的な和食レストランとされているようである。事前に予約をして、家族での祝い事のために焼き鳥を食べに行くのは、ここでは違和感はない。

 サチコは、早速マルゲリータピザと焼きおにぎりと注文していた。炭水化物を際限なく食べられるのは、ティーンエイジャーの特権である。更に、砂肝を合計3本食べた。初めて知ったが、大好物らしい。優一は、トマト、ピーマン、つくねなどヘルシーであった。最後は鮭茶漬けを食べた。妻と私は、刺身、馬刺しなど、まんべんなく食べた。

 45歳、ちょうど人生の半分くらいであろうか。とにかく今は幸せである。


1月18日 ザイム真理教

 先日、子供たちとジョギングをした際、ブックオフに立ち寄ると「ザイム真理教」(森永卓郎著)があった。話題となっていて、気になったので購読した。

 本書によれば、財務省はカルト教団化しており、「財政均衡主義」という教義が広く浸透し、それにより国民生活が破壊されつつある。この状況を打破するためには、財務省を解体し、消費税を廃止し、財政出動をどんどんやるべきだという。これらの施策により国の借金(国債の発行残高)は増大しつづけるが、特にハイパーインフレ等の悪影響は起こらない、というのが本書の概要である。

 直感的には、借りた金は返さなければならないし、借金が増え続けるような財政運営では、立ち行かなるのではないかと思うが、本書によれば、借金が永遠に増え続けても問題ないらしい。

 私は、新型コロナが蔓延していたころ、世界中で高価なワクチンが無料で接種され、コロナ関連の給付金も支払われたのが不思議であった。そのお金はどこから出ているのだろうかと思ったが、本書を読んで納得した。簡単に言えば、お金を印刷することで、お金を生みだすことができるのである。問題はその程度で、やりすぎるとハイパーインフレが起こる。どの程度までが「やりすぎ」という線の位置が、森永氏は非常に高く、財務省は非常に低いのだと思う。そして、その線の位置は「思ったより高い」というのが、本書を読んだ感想である。

 12月31日の朝日新聞によれば、「ザイム真理教」が21万部のベストセラーになり、財務省のX(旧ツイッター)にも批判の書き込みが相次いでいるという。財政規律の緩みを正そうとしている財務省が、批判の矢面に立たされている。また、財政規律が緩み、軍事予算が膨らみ続ける戦前の日本の状況と、国債で防衛費をまかなう現在の日本と似ているという。

 おそらく、この中間点あたりに最適解があるのだろう。森永氏の意見を鵜呑みにして過激な言論に傾くのは危険であるし、財政均衡を目指し過ぎるのもまた危険である。対極する意見を読める機会ができて良かった。


1月11日 二郎系ラーメン

 今週末は、私がボイラー技士技能講習で不在となるため、妻子は妻の実家に遊びに行った。ということで、私は気兼ねせず気になるものを食べようと、講習が終わった後、家の近くにある「二郎系ラーメン」で夕食を食べた。

 私は、二郎系ラーメンのことはよく知らないが、なんとなく敷居が高いと感じていた。近所にあるこの店も、暗い道にポツンとあり、店構えは怪しく、入りやすい雰囲気とは言えない。子連れはおろか、妻とふたりでも気軽に入れる雰囲気ではない。

 ひとりで店に入れば、店内は思ったよりも普通であった。客層はほとんどが20代の若者である。普通のラーメンの「小」を頼むと、紙を渡された。よく分からないので

ヤサイ→マシマシ
ニンニク→基本
アブラ→基本

みたいな感じで適当にマルをつけて渡した。

 来たラーメンは、強烈であった。極太のうどんのような麺の上に、大量のもやしと巨大なチャーシュー、そして刻みニンニクと、背油が乗っている。野菜が多いのは良いとしても、塩分、油分は多く、小サイズでも普通のラーメンくらいのヴォリュームがあり、40代のオッサンが日常的に食べてよい代物ではない。周囲を見渡せば、若い女性が大盛麺にチャーシューのほか、バターやチーズをトッピングして美味しそうに食べている。

 満腹で店を出たが、しばらくしたら食べたくなる味だとは思った。


1月11日 シンギュラリティはより近く

 年末年始、少しはまともな本を読もうと思い、「シンギュラリティはより近く」(レイ・カーツワイル著)を読んだ。「シンギュラリティ」(特異点)とは、ブラックホールの中心のように、物理法則が通用しなくなる点を指すが、本書では、シンギュラリティ(技術的特異点)を、「現在の人間がテクノロジーの急激な変化を理解できなくなる時期」と定義し、それは2045年ごろであるとしている。本書を読んで初めて知ったのだが「シンギュラリティ」(技術的特異点)という言葉は、レイ・カーツワイル氏が、2005年に発表した前著「シンギュラリティは近い」で提唱したものである。

 改めて著者の先見の明に驚かされる。2005年といえば、インターネットはまだ遅く、コンピュータは囲碁でも将棋でもプロ棋士には遠く及ばなかった。そのころ、著者は2045年までの未来を予測し、少なくとも2025年現在、著者の予言通りにことは進んでいるように思える。世界の変化はあまりに速く、10年もすれば技術のありようはあまりにも違ってしまう。

 私は、「シンギュラリティ」を「AIが人間を超える日」と理解していたが、本書によればそれは誤った理解らしい。そして、著者は、「シンギュラリティ」に対して警鐘を鳴らすような態度ではなく、むしろきたる未来をかなり楽観的にとらえている。未来の人類は、脳とコンピュータを直接接続することで、現在の人類には考えられないような知性を得ることができ、ナノテクノロジーの進歩により寿命は長くなり、私たちはこれまで以上に豊かで幸せな時間を長く過ごすことができるという。

 私の直感では、世界が良い方向に進んでいるとは思えないが、著者によれば、それすらも人々に植え付けられた思い込みで、本書では客観的なデータにより、間違いなく世界は良い方向に向かっていることが示されている。

 近い将来、大人になったサチコや優一は、脳にチップを埋め込んでインターネットと脳が直接接続する「BCI」(ブレイン・コンピュータ・インターフェイス)により大幅に知性を強化させ、年老いた私に「お父さん、まだスマホなんか使ってるの?お父さんもBCIやったら?」と言うかもしれない。私は「わしはこの『スマホ』で十分じゃ」と答えるもしれない。

 そんな未来が来るよ、と優一に言ってみたら、「僕は脳にスマホを埋め込むのなんか絶対嫌だ」という。20年後、その考えは変わっているだろう。SFの世界が現実になりつつある。


1月5日 年末年始

 今回の年末年始は、基本的にのんびり過ごした。

・12/31
 子供たちと近所をジョギングした。サチコがハードオフをぶらぶらしたいと言うので、行ってみたら休みであった。大晦日に開いている店はないよ、と言ったが、ハードオフの近くのセカンドストリートが開いていて、ここでウィンドウショッピングをしてから帰宅した。帰宅後は、年越しそばを食べながら紅白を観た。子供たちの目当ては、こっちのけんとの「はいよろこんで」である。一緒に歌いながらノリノリで観るのかと思いきや、ふたりとも正座して静かに見入っていた。こっちのけんとに対するリスペクトが凄まじいと思った。

・1/1
 おせちを食べてゲームをしたりしてごろごろ過ごす。サチコは友人たちと初詣に行った。私は、NHKの「小さな旅」をリコーダーで吹きたくなり、楽譜を入手して編曲を始める。

・1/2
 恒例の高良大社まで初詣に行く。高良大社は、家から自転車で30分、その後登山を40分くらいしたところにあり、ちょうどよい運動にもなる。お参りをした後、お守りを買い、おみくじを引いた。昼食は屋台で私はからあげ、妻は焼き鳥、サチコはチョコバナナ、優一はクレープを食べた。

 帰宅後、私は「小さな旅」の多重録音を終えて、公開した。子供たちと自転車で出かけたときの動画と合わせれば、それっぽいものができた。

↓小さな旅 リコーダー4重奏
https://www.youtube.com/watch?v=pqc-Iubo3Ew

・1/3
 子供たちと、福岡市科学館に「毒展」を見に行った。毒の大好きなサチコは大興奮であった。巨大なガの幼虫のオブジェなどにぞわぞわしながら巡った。私が印象に残ったのは痛さの指標である「シュミット指数」であった。イグ・ノーベル賞を受賞した考案者の「スティン・シュミット氏は、自らハチに刺されてその痛みを数値化した。最大のLv4は、「泡風呂に入浴中、ヘアドライヤーを投げ込まれて感電したみたい」と形容している。その痛みが想像できないあたりが面白い。

 優一は、その後に行った常設展示に夢中であった。手をかざすと、星が生まれる映像の仕掛けで、エネルギー弾のように星を生みだしていた。生命誕生のところにボールを入れると、どんどん時代が下り、ルーレットの中のヒトに入れるゲームは、鬼畜であった。時代ごとに複数開いた穴のうち、正解はひとつだけで、全てを正解しながらヒトに入る確率は限りなく低い。人類が生まれたこと自体が奇跡的なことだったことを伝える展示だが、確率が大好きな優一は夢中になって、何度も玉を転がしていた。

 その後、天神のジュンク堂で、本を買った。父にもらった図書券も使いつつ、合計1万円くらいになった。

・1/4
 午前中は、父とオンライン将棋をして過ごす。昼食は、優一と一緒に焼きそばを作り、夕食は妻と一緒に餃子を包んだ。夕方、優一が退屈だと騒いでいるので、ちょっと離れたショッピングモールまでジョギングした。走っていると、足がかゆいと言い出した。裏起毛の長ズボンなので、皮膚が刺激されるのかもしれない。そういえば優一はジャージを持っていないと思い、ショッピングモールで買ってあげた。走りながら、優一の好きなマイクラやらプログラミングの話をした。優一はもう冬休みに飽きたらしく、早く学校に行きたいと言っている。確かに、冬休みがいちばん退屈な休みかもしれない。

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